せいほうじ
金剛山清宝寺(真言宗醍醐派)の創立は,文明8(1476)年4月28日,開山は山城醍醐の天隣法印で,寺伝によると天隣法印は諸国廻行の途次不動明王像を刻み,本尊とし,一宇を建立して一行院と称した。吉田(豊橋)城の地の今橋にあった。
天和年間(1681~84),清宝院と改称し,昭和27(1952)年清宝寺となった。今橋の地から中世古(豊橋市中世古町)へ移転した時代は記録がない。永正2(1505)年吉田(豊橋)城築城の際であったと思われる。明治初頭の神仏分離令により,護摩堂・荒神社など破却となる。その後,本堂・山門などを新築した。
昭和20(1945)年6月の空襲で疎開していた本尊・石仏を残して焼失した。昭和20(1945)年境内整備,仮本堂建築。昭和24(1949)年本堂庫裏(くり),同31(56)年大師堂書院,同36(61)年本堂庫裏拡張工事,同62(87)年山門,平成9(1997)年金剛閣を建築した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
金剛山清宝寺(真言宗醍醐派)の創立は,文明8(1476)年4月28日,開山は山城醍醐の天隣法印で,寺伝によると天隣法印は諸国廻行の途次不動明王像を刻み,本尊とし,一宇を建立して一行院と称した。吉田(豊橋)城の地の今橋にあった。
天和年間(1681~84),清宝院と改称し,昭和27(1952)年清宝寺となった。今橋の地から中世古(豊橋市中世古町)へ移転した時代は記録がない。永正2(1505)年吉田(豊橋)城築城の際であったと思われる。明治初頭の神仏分離令により,護摩堂・荒神社など破却となる。その後,本堂・山門などを新築した。
昭和20(1945)年6月の空襲で疎開していた本尊・石仏を残して焼失した。昭和20(1945)年境内整備,仮本堂建築。昭和24(1949)年本堂庫裏(くり),同31(56)年大師堂書院,同36(61)年本堂庫裏拡張工事,同62(87)年山門,平成9(1997)年金剛閣を建築した。
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