かいぐんこうくうたい
豊橋海軍航空隊は,昭和13(1938)年から大崎島・大津島に海軍航空隊基地が造成され,同18(43)年4月1日開隊し,同年6月から第22空襲部隊第6部隊となった。海軍航空隊の開隊に先立ち,昭和14(1939)年から同18(43)年4月までに,1500m×100mの主要滑走路3本,1000mの戦闘機用滑走路1本が配置された八角形の豊橋海軍航空隊基地が完成した。
初代豊橋海軍航空隊は,昭和19(1944)年2月20日廃止され,第701海軍航空隊となり,その後,521空,524空,732空などが開隊された。昭和19(1944)年7月10日,陸攻大型機搭乗員の訓練を目的とした2代目豊橋海軍航空隊が誕生した。基地には常時3000余人の隊員がいて,第2次世界大戦終戦時には第10航空艦隊に属したが,航空戦力は不在となっていた。
豊橋海軍航空隊跡は,戦後,昭和22(1947)年3月から日東製塩株式会社が貸与を受けていたが,同25(50)年3月,製塩を中止した。昭和23(1948)年には豊橋海軍航空隊跡の2000反余の土地は,大崎・船渡・老津の元地主たちに農地として払い下げられた。その後,昭和28(1953)年愛知県は港域拡張について告示し,同33(58)年東都製鋼株式会社が誘致された。昭和47(1972)年海中の字(あざ)が廃止され,翌48(73)年公有水面埋立地および大津島などに明海町が設定され,臨海工業用地となった。
関連項目 - 大崎島・大津島 三河港
- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
豊橋海軍航空隊は,昭和13(1938)年から大崎島・大津島に海軍航空隊基地が造成され,同18(43)年4月1日開隊し,同年6月から第22空襲部隊第6部隊となった。海軍航空隊の開隊に先立ち,昭和14(1939)年から同18(43)年4月までに,1500m×100mの主要滑走路3本,1000mの戦闘機用滑走路1本が配置された八角形の豊橋海軍航空隊基地が完成した。
初代豊橋海軍航空隊は,昭和19(1944)年2月20日廃止され,第701海軍航空隊となり,その後,521空,524空,732空などが開隊された。昭和19(1944)年7月10日,陸攻大型機搭乗員の訓練を目的とした2代目豊橋海軍航空隊が誕生した。基地には常時3000余人の隊員がいて,第2次世界大戦終戦時には第10航空艦隊に属したが,航空戦力は不在となっていた。
豊橋海軍航空隊跡は,戦後,昭和22(1947)年3月から日東製塩株式会社が貸与を受けていたが,同25(50)年3月,製塩を中止した。昭和23(1948)年には豊橋海軍航空隊跡の2000反余の土地は,大崎・船渡・老津の元地主たちに農地として払い下げられた。その後,昭和28(1953)年愛知県は港域拡張について告示し,同33(58)年東都製鋼株式会社が誘致された。昭和47(1972)年海中の字(あざ)が廃止され,翌48(73)年公有水面埋立地および大津島などに明海町が設定され,臨海工業用地となった。
関連項目 - 大崎島・大津島 三河港
- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!