あさだ・へいたろう(1882~1968)
浅田平太郎は,明治15(1882)年4月19日,福岡県嘉穂郡忠隈村(福岡県嘉穂郡穂波町)に生まれた。上京して攻玉社に学んだ。南満州鉄道に就職し,後に台湾の塩水港精糖の引込線の建設に従事した。大正11(1922)年豊橋へ赴任し,渥美電鉄,豊橋電気軌道の建設にあたった。その後,三信鉄道の路線を研究した。「夢を追う男の一生」第2編に,「大正年間豊橋の浅田平太郎鉄道技師が天竜の水を発電に活用し,奥三河,信州の山林材及び地下資源を開発して国益を増すべく草鞋(わらじ)履きで天竜沿岸の素封家を口説き歩き,三菱の岩崎,末延両翁を口説き,電気の松永雷翁を説得して,昭和4年着工し…,泰阜(やすおか),平岡,佐久間の三大発電所を完成させた。」とある。
口述筆記に「三信鉄道の思出で」がある。
昭和33(1958)年,運輸交通(郷土開発)─渥美電鉄,豊橋市内電気軌道並びに三信鉄道施設に尽瘁したとして,豊橋市表彰条例による表彰を受けた。昭和43(1968)年2月12日,没した。
- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
浅田平太郎は,明治15(1882)年4月19日,福岡県嘉穂郡忠隈村(福岡県嘉穂郡穂波町)に生まれた。上京して攻玉社に学んだ。南満州鉄道に就職し,後に台湾の塩水港精糖の引込線の建設に従事した。大正11(1922)年豊橋へ赴任し,渥美電鉄,豊橋電気軌道の建設にあたった。その後,三信鉄道の路線を研究した。「夢を追う男の一生」第2編に,「大正年間豊橋の浅田平太郎鉄道技師が天竜の水を発電に活用し,奥三河,信州の山林材及び地下資源を開発して国益を増すべく草鞋(わらじ)履きで天竜沿岸の素封家を口説き歩き,三菱の岩崎,末延両翁を口説き,電気の松永雷翁を説得して,昭和4年着工し…,泰阜(やすおか),平岡,佐久間の三大発電所を完成させた。」とある。
口述筆記に「三信鉄道の思出で」がある。
昭和33(1958)年,運輸交通(郷土開発)─渥美電鉄,豊橋市内電気軌道並びに三信鉄道施設に尽瘁したとして,豊橋市表彰条例による表彰を受けた。昭和43(1968)年2月12日,没した。
- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!