じょうじいん

 多聞山浄慈院(浄土宗西山禅林寺派)は,「縁起(えんぎ)」によると,はじめ下野国(栃木県)にあったが,寛文7(1667)年住職忍誉良済は本尊押合地蔵尊を負って吉田(豊橋)馬見塚へ,さらに高須新田(豊橋市高洲町)に移ったが,高潮に遭ったため,延宝8(1680)年,羽田村(豊橋市花田町百北)へ移転し,寺を建立して開山となった。

 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,羽田村「多門山浄慈院,尾州愛知郡祐福寺末寺,客殿境内東西廿六間・南北七十間,寺内地蔵堂弐間四方」とある。宝永7(1710)年本堂を新築(現在も使用)し,伝鳥仏師作の釈迦如来像を本尊とし大日如来,弥勒菩薩像を新造して脇士とし,浄土・律・真言・天台の四宗兼学の寺風をなして,明治維新まで続いた。境内には地蔵堂(享保12年)と護摩堂(文化14年)が建てられている。

 開山当時から寺子屋を開いており,筆子は常に50人を下らず,境内に3間6間の筆子部屋が別に建てられていた。学制により,明治6(1873)年10月15日第四番小学幡太(はだ)学校(花田小学校)が開校され,住職山澄覚禅は習字を担当した。江戸時代中期からの由緒書,日記などの古文書を多数所蔵している。本堂,庫裏(くり)など老朽化に伴い,平成元(1989)年本堂の修復と庫裏の新築を行った。境内に昭和5(1930)年に設立された「社会福祉法人羽田保育園」がある。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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