じょうえんじ
方鏡山浄円寺(真宗大谷派)の創立は,天文3(1534)年,開山は釈了証法師,本尊は寛永9(1632)年造立の阿弥陀如来像である。天文3(1534)年はじめて一個公称寺院方鏡山浄円寺の許可を受け,天正2(1574)年吉田(豊橋)城東川毛より下リ町(豊橋市花園町)に移った。
浄円寺創立以来の経過は明らかではないが,「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)の誓念寺の条に「右浄円寺,境内年貢諸役御免,水野隼人正様御地頭之節御証文在之」とある。文禄4(1595)年,教如上人によって誓念寺が創立され,京都東本願寺別院となったが,御坊無住のため,応通寺・蓮泉寺・浄円寺・正琳寺・仁長寺の5か寺が明治12(1879)年まで交代で御堂役を務めた。また「羽田名蹤綜録」にも,寛永19(1642)年9月11日水野隼人正からの諸役御免の証状のほか,松平信高(信祝(のぶとき))まで4代領主の証文が載せてあり,川毛時代から領主に特別な待遇を受け,御堂役の筆頭となっていた。
境内には文化7(1810)年に建てた経蔵があり,黄檗(おうばく)版一切経(いっさいきょう)など,当時12世了願師の自著稿本数十巻をはじめ和漢の書籍数千巻を収めてあった。昭和20(1945)年6月の空襲により境内建物を全焼した。しかし,本尊,過去帳外重要文書はこれを免れた。昭和21(1946)年豊橋市花園町に本堂を再建したが,同46(71)年豊橋市大村町黒下に鉄筋コンクリート造り2階建ての本堂,庫裏を新築し,移転した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
方鏡山浄円寺(真宗大谷派)の創立は,天文3(1534)年,開山は釈了証法師,本尊は寛永9(1632)年造立の阿弥陀如来像である。天文3(1534)年はじめて一個公称寺院方鏡山浄円寺の許可を受け,天正2(1574)年吉田(豊橋)城東川毛より下リ町(豊橋市花園町)に移った。
浄円寺創立以来の経過は明らかではないが,「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)の誓念寺の条に「右浄円寺,境内年貢諸役御免,水野隼人正様御地頭之節御証文在之」とある。文禄4(1595)年,教如上人によって誓念寺が創立され,京都東本願寺別院となったが,御坊無住のため,応通寺・蓮泉寺・浄円寺・正琳寺・仁長寺の5か寺が明治12(1879)年まで交代で御堂役を務めた。また「羽田名蹤綜録」にも,寛永19(1642)年9月11日水野隼人正からの諸役御免の証状のほか,松平信高(信祝(のぶとき))まで4代領主の証文が載せてあり,川毛時代から領主に特別な待遇を受け,御堂役の筆頭となっていた。
境内には文化7(1810)年に建てた経蔵があり,黄檗(おうばく)版一切経(いっさいきょう)など,当時12世了願師の自著稿本数十巻をはじめ和漢の書籍数千巻を収めてあった。昭和20(1945)年6月の空襲により境内建物を全焼した。しかし,本尊,過去帳外重要文書はこれを免れた。昭和21(1946)年豊橋市花園町に本堂を再建したが,同46(71)年豊橋市大村町黒下に鉄筋コンクリート造り2階建ての本堂,庫裏を新築し,移転した。
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