ほうこういん
春光山法香院(浄土宗)の創立は,天文3(1534)年であり,開山は光誉春応上人,本尊は阿弥陀如来坐像である。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,野田村「浄土宗,法香院,吉田悟真寺末寺,平僧,客殿三間半・四間,境内東西十九間・南北廿六間,右寺内薬師堂,壱尺五寸四方」とある。
現在薬師堂はなく,境内には大正11(1922)年,豊橋市新銭町にあった地蔵院より移転した地蔵堂がある。堂は寄棟流向拝本瓦葺(かわらぶ)きの建築で,伝春日作地蔵尊半踞(はんきょ)の像,千体地蔵尊,浪切不動尊,廿五菩薩などの像が安置されている。幕末のころ,寺子屋を開いていたが,明治5(1872)年学制発布とともに廃止された。法香院は,明治8(1875)年から同25(92)年まで三吉野小学校(後の吉田方小学校)の校舎として使用された。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
春光山法香院(浄土宗)の創立は,天文3(1534)年であり,開山は光誉春応上人,本尊は阿弥陀如来坐像である。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,野田村「浄土宗,法香院,吉田悟真寺末寺,平僧,客殿三間半・四間,境内東西十九間・南北廿六間,右寺内薬師堂,壱尺五寸四方」とある。
現在薬師堂はなく,境内には大正11(1922)年,豊橋市新銭町にあった地蔵院より移転した地蔵堂がある。堂は寄棟流向拝本瓦葺(かわらぶ)きの建築で,伝春日作地蔵尊半踞(はんきょ)の像,千体地蔵尊,浪切不動尊,廿五菩薩などの像が安置されている。幕末のころ,寺子屋を開いていたが,明治5(1872)年学制発布とともに廃止された。法香院は,明治8(1875)年から同25(92)年まで三吉野小学校(後の吉田方小学校)の校舎として使用された。
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