かし
慶長5(1600)年関ヶ原の合戦に協力した船町(豊橋市船町)に船役が課され,豊川(とよがわ)の河口に,吉田湊(みなと)が開かれた。豊川の上流からの鵜飼舟,伊勢参宮渡船の道者舟,江戸廻船,伊勢尾張通船などでにぎわった。船町の榎河岸,田町(豊橋市湊町)の神明河岸,対岸の下地河岸(豊橋市下地町)などに船着場があった。
明治7(1874)年には武家屋敷町であった関屋(豊橋市関屋町)の河岸に荷揚場が新設された。関屋には問屋や製糸工場が立地し,肥料・雑貨とともに石炭の搬入が盛んになった。対岸の下地には貯木場が作られ,木材業も盛んになった。大正15(1926)年新船町港(豊橋市北島町)が船町河岸より下流300mに造成された。閘門(こうもん)施設を持つ船溜(ふなだまり)である。製糸業が盛んになり,石炭の陸揚げ港として機能したが,第2次世界大戦後,船溜は廃止された。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
慶長5(1600)年関ヶ原の合戦に協力した船町(豊橋市船町)に船役が課され,豊川(とよがわ)の河口に,吉田湊(みなと)が開かれた。豊川の上流からの鵜飼舟,伊勢参宮渡船の道者舟,江戸廻船,伊勢尾張通船などでにぎわった。船町の榎河岸,田町(豊橋市湊町)の神明河岸,対岸の下地河岸(豊橋市下地町)などに船着場があった。
明治7(1874)年には武家屋敷町であった関屋(豊橋市関屋町)の河岸に荷揚場が新設された。関屋には問屋や製糸工場が立地し,肥料・雑貨とともに石炭の搬入が盛んになった。対岸の下地には貯木場が作られ,木材業も盛んになった。大正15(1926)年新船町港(豊橋市北島町)が船町河岸より下流300mに造成された。閘門(こうもん)施設を持つ船溜(ふなだまり)である。製糸業が盛んになり,石炭の陸揚げ港として機能したが,第2次世界大戦後,船溜は廃止された。
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