いけだ・てるまさ(1564~1613)
池田輝政は,永禄7(1564)年12月29日,池田恒興の2男として清洲に生まれた。天正18(1590)年,徳川家康の関東移封によって下総臼井(千葉県佐倉市)に転封した酒井家次にかわって,東三河4郡等15万2000石を領する吉田(豊橋)城主となった。なお,池田輝政は吉田在城時代は「照政」と自署している。酒井忠次・家次は3万石程度の徳川氏の城代であったが,15万石を領した池田輝政は,城地の拡張整備に着手した。吉田(豊橋)札木町にあった熊野権現を魚町に,境内社の白山社を新銭町に移した。牧野古白が長山(豊川市)から移した鍛冶職人を元鍛冶町に住まわせた。酒井忠次が関屋に架橋した土橋を木橋として船町に架橋し,船町に船役を命じた。従来の城地を南と西に拡張し,東の飽海(あくみ)口にあった大手を南に移し,15万石にふさわしい大規模な縄張りとした。
慶長5(1600)年の関ヶ原戦後,池田輝政は播磨姫路52万石に転封した。慶長18(1613)年1月25日,没した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
池田輝政は,永禄7(1564)年12月29日,池田恒興の2男として清洲に生まれた。天正18(1590)年,徳川家康の関東移封によって下総臼井(千葉県佐倉市)に転封した酒井家次にかわって,東三河4郡等15万2000石を領する吉田(豊橋)城主となった。なお,池田輝政は吉田在城時代は「照政」と自署している。酒井忠次・家次は3万石程度の徳川氏の城代であったが,15万石を領した池田輝政は,城地の拡張整備に着手した。吉田(豊橋)札木町にあった熊野権現を魚町に,境内社の白山社を新銭町に移した。牧野古白が長山(豊川市)から移した鍛冶職人を元鍛冶町に住まわせた。酒井忠次が関屋に架橋した土橋を木橋として船町に架橋し,船町に船役を命じた。従来の城地を南と西に拡張し,東の飽海(あくみ)口にあった大手を南に移し,15万石にふさわしい大規模な縄張りとした。
慶長5(1600)年の関ヶ原戦後,池田輝政は播磨姫路52万石に転封した。慶長18(1613)年1月25日,没した。
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