ながい・せんじゅう(1850~1915)
永井仙十は,嘉永3(1850)年3月10日,宝飯郡下地村(豊橋市下地町)で生まれた。家業は醸造業を営んでいたが,明治6(1873)年下地村学校世話方3人(永井仙十・内藤八郎兵衛・長尾賢保)の1人に選ばれた。明治25(1892)年豊橋商業会議所創立委員,豊橋銀行発起人・取締役,同27(94)年豊橋米麦取引所発起人,同29(96)年三河製糸発起人・監査役になった。家業も近代化し,7.5馬力の電動機を備えて,80人もの使用人をかかえ,清酒「開運」をはじめ年間4000石を生産する大工場となった。明治34(1901)年,永井仙十が中心になって宝飯・渥美・南設楽3郡の醸造業者で東三酒造組合を設立した。大正4(1915)年1月14日,没した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
永井仙十は,嘉永3(1850)年3月10日,宝飯郡下地村(豊橋市下地町)で生まれた。家業は醸造業を営んでいたが,明治6(1873)年下地村学校世話方3人(永井仙十・内藤八郎兵衛・長尾賢保)の1人に選ばれた。明治25(1892)年豊橋商業会議所創立委員,豊橋銀行発起人・取締役,同27(94)年豊橋米麦取引所発起人,同29(96)年三河製糸発起人・監査役になった。家業も近代化し,7.5馬力の電動機を備えて,80人もの使用人をかかえ,清酒「開運」をはじめ年間4000石を生産する大工場となった。明治34(1901)年,永井仙十が中心になって宝飯・渥美・南設楽3郡の醸造業者で東三酒造組合を設立した。大正4(1915)年1月14日,没した。
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