みずの・ただよし(1612~76)

 水野忠善は,慶長17(1612)年,水野忠元の子として生まれた。元和6(1620)年,遺領を継いだ。寛永19(1642)年,駿河田中(藤枝市)4万5000石から三河吉田(豊橋)に転封した。寛永19(1642)年から同20(43)年は,全国的な飢饉の年であった。その上,勅使・朝鮮通信使・琉球使節や徳川義直の尾張就封など交通も頻繁であり,東海道の各宿駅の負担は増し疲弊しつつあった。幕府は,各駅に500両下付した。しかし,私領には300両の交付であったので,その上に200両を与えたという。また,吉田宿の東惣門を整備して番所を置いた。正保2(1645)年,在城3年で岡崎5万石に移った。延宝4(1676)年8月29日,65歳で没した。その後,水野家は転封を重ね,弘化2(1845)年,出羽山形5万石で明治維新を迎えた。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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