すいどう

 豊橋市水道は,大正15(1926)年6月,豊橋市議会が水道敷設計画を可決,昭和2(1927)年7月着工した。八名郡下川(しもかわ)村大字西下条(げじょう)字三ノ下(豊橋市下条西町三ノ下)の豊川(とよがわ)河底から集水,同村牛川字小鷹野(おだかの)(豊橋市東小鷹野二丁目)の浄水場と石巻村多米(ため)字蝉川(豊橋市多米町蝉川)の配水場に送水,市内に7万5000余間の水道管を敷設して完了した。昭和4(1929)年3月,一般家庭,工場への通水を開始し,翌5(30)年3月竣工式を挙行した。豊橋市の総戸数1万8321戸のうち年末までに5036戸が水道を取り付けた。給水人口12万人,1人1日平均111.2リットル,16万人の給水能力を備え,事業費220万9093円であった。昭和8(1933)年,第1次拡張事業に着手,町村合併に伴う新給水区域に配水管を敷設した。昭和20(1945)年6月,戦災で全戸数の70%が焼失したが水源は難を免れた。

 第2次世界大戦後,戦災復興事業および増補改良工事により,昭和23(1948)年までに,給水は完全回復,小池給水所を新設した。昭和27(1952)年から,第2次・第3次拡張事業に着手,南栄(みなみさかえ)給水所を新設,同39(64)年,水需要の増大に対応し自己水源確保に向け,第4次拡張事業を行った。豊川用水三ッ口池取水口水源と牟呂用水森岡送水場水源から取水,牛川浄水場を新設したが,昭和45(1970)年4月,財政難で浄水施設を愛知県に委譲,県営用水受給方式に切り換え,多米と高山に配水池を築造した。第5次拡張は第4次拡張を補完するもので,下条給水場を増設,南部配水場(昭和56年8月・豊橋市東赤沢町)を新設した。全配水区を南北に分け,北は小鷹野浄水場,南は南部配水場を拠点とする配水拠点体制を整えた。拡張事業は8次まで続き,未給水区域解消,簡易水道など統合して,平成16(2004)年度年間配水量は4433万6158立方メートル(自己水1758万9540立方メートル・県水2674万6618立方メートル),給水戸数14万5383,給水人口37万2540,普及率99.25%である。

 参考文献 - 豊橋市役所「豊橋市水道誌」・豊橋市水道50年史編さん委員会「豊橋市水道50年史」
 関連項目 - 東三河水道事務所(豊橋市東小鷹野(ひがしおだかの)二丁目)

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豊橋市議の長坂です。
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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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