たちばなの・はやなり(?~842)

 橘逸勢は,書道の三筆の一人として著名であるが,承和9(842)年,伴健岑(とものこわみね)とともに恒貞親王を擁して東国に入り,事を挙げようとした嫌疑で捕縛された(承和の変)。そして,伊豆に配流されることになったが,途中遠江(とおとうみ)国板筑(ほおづき)駅(引佐郡三ヶ日町日比沢)で,承和9(842)年8月13日病死した。本坂峠の東麓の日比沢には橘逸勢を祀る橘神社があり,孝女妙冲に関する伝説がある。橘逸勢は板筑駅で病没し,本坂峠の愛宕山中腹に埋葬されたといわれる。女(むすめ)は妙冲尼と名乗り,墓前に庵を結んで菩提を弔った。嘉祥3(850)年帰葬が許され,父の遺骨を背負って京へ還った。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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