はしらいせき

 橋良遺跡は,豊橋市柱三番町を中心とした標高3~5mほどの低位な段丘上に,東西600m,南北700mほどの範囲で広がる弥生時代中期を主体とした集落遺跡である。古くは橋良貝塚と呼ばれたこともあるが,弥生時代やそれ以前の貝塚は確認されていない。

 遺跡は,豊橋市教育委員会によって平成元(1989)年~同13(2001)年に4回の発掘調査が行われ,弥生時代中期後半の竪穴住居や方形周溝墓,集落を囲む環濠の一部などが発見されている。竪穴住居は,短辺4~6m,長辺5~7mほどの平面形,隅丸長方形のものが多く,西三河地域の影響がうかがえる。クシやヘラによって文様が描かれた弥生土器のほか,磨製石斧・磨製石鏃・打製石鏃などの石器類も出土している。

 方形周溝墓は,溝の四隅が途切れる形態で,1辺10m以下の溝を共有する小型のものが多い。環濠は,幅2m前後で,深さ1.0~1.3mの断面漏斗(ろうと)状となり,出入り口と思われる土橋状の遺構も確認されている。遺跡はこのほかに,古墳時代前期,中世前期,江戸時代各時期の生活の痕跡を残している。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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