うえた・よしえ(1734~1806)

 植田義方は,享保19(1734)年11月15日,吉田(豊橋)本町の高須乗成の2男として生まれた。幼名を茂六といい,のち七三郎・義方,字(あざな)を子直といった。延享2(1745)年12歳の時,吉田札木の吉田藩御用達植田喜右衛門の養嗣子となった。寛延2(1749)年藩主松平(本庄)資訓(すけのり)が浜松に移封したため,養父植田喜右衛門が居を浜松に移したので,吉田における植田家の一切を継承した。安永2(1773)年浜松植田家から養子を迎え,同9(80)年隠居した。植田義方は,俳号を一蓬舎古帆と称し,詩歌・俳諧に,金春流能楽の太鼓に優れていた。また,菅江真澄とも親交があった。著に「寓木集」「蕉翁発句故事考」がある。文化3(1806)年3月14日,没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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