うめおか・とみいち(1897~1940)

 梅岡富一は,明治30(1897)年11月11日,南設楽郡石座(いわくら)村(新城市牛倉)の梅岡富造の長男として生まれた。尋常小学校を終えて,家業の山仕事を手伝っていたが,20歳のとき渥美郡二川町大岩(豊橋市大岩町)の従兄弟をたよって転居してきた。もともと,木材加工が器用であったことを生かして建具屋を始めた。

 昭和9(1934)年の暮,岡崎市の機織屋(はたおりや)の主人が梅岡富一を訪ねてきた。「不揃いなより糸をなくすような機械はできないだろうか」という相談だった。本職の建具職はそっちのけで取り組んだ。試行錯誤の末,昭和13(1938)年3月ようやく実用新案の「合糸機ノ停止装置」が認められた。これは,「二川式合糸機」(通称100人力合糸機)といい,売れ行きがよかった。戦時色の高まりで,自動停止装置に使う鋼材の針金が入手困難になり,製造ができなくなった。さらに,過労と心労で倒れ,この「二川式合糸機」の製造も停止した。昭和15(1940)年1月4日,没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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