けいしょうじ
天香山桂昌寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,寛元4(1246)年から建長元(1249)年と推測される。本尊は正観世音坐像である。
「当寺縁起書」(弘安2年)によると,当初は真言宗であった。鎌倉時代の住尼叟珍公首座の時,元久元(1204)年南宋の僧蘭渓道隆が鎌倉に下向する途中,当寺に滞在した縁で勧請開山に請うた。そして山号,寺号の命名,伽藍(がらん)の修造などの因縁によって建長寺派に属したとある。しかし,この元久元(1204)年の記述は禅師の来朝が,寛元4(1246)年であることから不自然であり,恐らく縁起書(徳川期の伝写)の誤りであったと推測される。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大津村「禅宗,天香山桂昌寺,右太平寺末寺,平僧,客殿八間半・四間,境内三十五間・百一間,御朱印寺領弐拾壱石八斗余,此内九石鎮守社領三ヶ所,五石ハ四ヶ寺分領」とある。また「三河国二葉松」(元文5年)に「大津村,御朱印二十二石余,内十七石寺領,禅宗関山派,本寺大津村太平寺,天香山桂昌寺」とある。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
天香山桂昌寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,寛元4(1246)年から建長元(1249)年と推測される。本尊は正観世音坐像である。
「当寺縁起書」(弘安2年)によると,当初は真言宗であった。鎌倉時代の住尼叟珍公首座の時,元久元(1204)年南宋の僧蘭渓道隆が鎌倉に下向する途中,当寺に滞在した縁で勧請開山に請うた。そして山号,寺号の命名,伽藍(がらん)の修造などの因縁によって建長寺派に属したとある。しかし,この元久元(1204)年の記述は禅師の来朝が,寛元4(1246)年であることから不自然であり,恐らく縁起書(徳川期の伝写)の誤りであったと推測される。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大津村「禅宗,天香山桂昌寺,右太平寺末寺,平僧,客殿八間半・四間,境内三十五間・百一間,御朱印寺領弐拾壱石八斗余,此内九石鎮守社領三ヶ所,五石ハ四ヶ寺分領」とある。また「三河国二葉松」(元文5年)に「大津村,御朱印二十二石余,内十七石寺領,禅宗関山派,本寺大津村太平寺,天香山桂昌寺」とある。
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