やぎゅうがわうんが

 柳生川の改修は,柳生川耕地整理組合連合会により,昭和8(1933)年1月に着手,同11(36)年2月工事が完了した。その中で東海道線柳生川鉄橋下から牟呂港まで4500mを,幅27m,干潮水面下1.8mとし,柳生川鉄橋下に360m四方の船溜を設け,牟呂港から200t級の船舶を通行できるようにさせようとしたが,費用をめぐりならなかった。

 豊橋市は都市計画に基づいて,沿岸地区を工業地帯とし,豊橋港築港計画と合わせて柳生川運河の拡張計画をたて,昭和12(1937)年10月工事に着手した。しかし,日中戦争が起こり,人手不足・資材不足などで中止された。昭和18(1943)年ごろには,この地区にユタカ産業・第一繊維などの会社が進出し,工業地帯となって運河の使命は重くなった。改修工事は,昭和25(1950)年,柳生川の掘鑿から始まった。昭和28(1953)年,13号台風により堤防が破られたが,護岸の復旧と運河の工事は進み輸送量は高まった。製糸工場の燃料用石炭・大豆・菜種などを積んだ船が出入りしていたが,運河の拡幅はされなかった。製糸工場も撤退し,最後まで残っていたト(丸ト)飼料の貯蔵施設も,平成10(1998)年ごろに豊橋市明海町へ移転し貨物船の出入りはなくなった。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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