まつだいら・のぶより(1793~1844)

 松平(大河内)信順は,寛政5(1793)年6月7日,松平(大河内)信明の庶子として生まれたが,寛政9(1797)年,嫡子となり,文化14(1817)年,父・松平信明の没後,家督を継いだ。学問を好み,漢学を大田錦城に学び,中山美石(うまし)を重用して国学を学び,のち本居大平の門に入った。文政8(1825)年,寺社奉行,天保2(1831)年,大坂城代,同5(34)年京都所司代に任命された。天保8(1837)年,老中に任ぜられたが,2か月で辞職した。天保13(1842)年,隠居して家督を子・信宝(のぶたか)に譲り,同15(44)年3月2日,没した。

 松平(大河内)信宝(1826~44)は庶出であったが,後に松平信順の嫡子となり,天保13(1842)年,父・松平信順隠居後家督を承(う)けて吉田(豊橋)藩主となったが,天保15(1844)年10月17日,19歳で没した。

 松平(大河内)信璋(のぶあき)(1827~49)は,文政10(1827)年8月9日,旗本松平(大河内)兵庫守信敏(大河内信綱6男堅綱末)の惣領として生まれた。天保15(1844)年10月17日,松平信宝亡きあと,末期養子として吉田7万石を襲封した。しかし,5年後の,嘉永2(1849)年7月27日,23歳で没したので,越前鯖江(鯖江市)藩主間部詮勝(まなべあきかつ)の2男信古(のぶひさ)を末期養子に迎えた。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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