まつだいら・のぶなお(1719~68)

 松平(大河内)信復は,享保4(1719)年4月4日,松平(大河内)信祝(のぶとき)の子として江戸藩邸で生まれた。延享元(1744)年,松平(大河内)信祝が没すると,遺領遠江(とおとうみ)浜松7万石を継いだ。ついで,寛延2(1749)年,三河吉田(豊橋)に転封となった。その後,明治維新まで封地の移動はなかった。幼時より三浦竹渓に師事して学問に励み,漢詩文・和歌を好んで文集・和歌集を残している。宝暦2(1752)年に,藩校時習館を創設した。松平信復の勤役は,内桜田門の警固,大手方・紅葉山・桜田組などの火防,公家衆への饗応奉行などのほか,駿河久能山東照宮の修理,吉田においては,宝暦14(1764)年,朝鮮通信使の馳走を命ぜられ接待を行っている。明和5(1768)年9月22日,没した。

 明和5(1768)年,松平(大河内)信礼(のぶうや)(1737~70)が父松平信復の遺領吉田7万石を相続したが,健康がすぐれず,奏者番に任ぜられたが,はじめての勤番にも出仕し得なかった。紅葉山宮鏡餅役,大手門火防,将軍の東叡山参詣後の警備の公役を各1回勤めたのみで,明和7(1770)年6月22日,34歳で病没し,松平(大河内)信明が襲封した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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