まつざか・いほえ(1827~1903)

 松坂重澄(初代五百枝)は,文政10(1827)年7月20日,6代松坂重賜(しげます)の子として生まれた。初名国光,字(あざな)光典,通称幸太郎・長四郎といった。文久2(1862)年,田中神明社神主を継ぎ,松坂越後と称した。明治2(1869)年,家督を相続,廃藩を機に松坂五百枝と改名した。明治6(1873)年,長子を2代松坂五百枝として隠居し,俊世と改名して神官を続け中講義に至った。歌は岩上登波子門で,万延元(1860)年,本居豊穎(とよかい)門となる。「類題三河歌集」(慶応2年刊)に入集する。中山美石(うまし)に漢学,恩田石峰に絵を学んだ。明治36(1903)年2月3日,没した。

2代五百枝(1855~1922)は,牛川村長,東田・牛川神明社,豊寿(とよほぎ)稲荷,牛川熊野神社の社掌を務めた。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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