とううんじ

 陽光山東雲寺(臨済宗妙心寺派)は,永正9(1512)年の創立と伝えられているが,開基開山は不明である。永禄7(1564)年,野依(のより)村の彦坂惣兵衛経逸が寺の荒廃を惜しんで再興し,尾州下津(おりづ)村(稲沢市)正眼寺15世日山樹林和尚を請じて中興開山とし,東観音寺末となる。

 延宝4(1676)年3月,彦坂経逸の子孫,彦坂惣兵衛常貞が本堂庫裏(くり)を再築した。彦坂氏は,野依八幡社の神主を務め,明治維新の際,神道改宗となるまで当寺の最大の檀那(だんな)であった。本尊は十一面観音立像,高さ7寸である。行基作の伝えもある。

 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,野依村「陽向山東雲院,小松原東観音寺末寺,平僧,客殿五間・三間,寺領弐石目,嵩山寺領之内」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「野依村,黒印二石,禅宗関山派,本寺小松原村東観音寺,陽光山東雲院」とある。

 幕末,寺子屋を開設していて,明治6(1873)年新学制による野依学校として開校した。昭和17(1942)年,妙心寺直末となり,東雲院を東雲寺に改名した。

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