あずまだこふん
東田古墳は,朝倉川の沖積地を北に臨む段丘の緩斜面に位置している。前方後円墳で,全長40m,後円部の径25m,高さ3m,前方部の長さ15m,幅16m,高さ4mである。今までに発掘調査は行われていないが,明治12(1879)年から翌13(80)年ごろ,後円部の上に神社の建物を建てる際に,主体部から遺物が出土している。主体部の性格は不明で,出土した遺物には鳥文鏡(ちょうもんきょう)と大刀(たち)があった。鳥文鏡は市内では数少ない古墳出土鏡の一つで,飛翔する鳥が表現された特異な形式のものである。このほか,墳丘から円筒埴輪と形象埴輪が採集されており,埴輪は窯(かま)を使わずに野焼きで作られていることから,古墳は5世紀前葉に築造されたと考えられる。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
東田古墳は,朝倉川の沖積地を北に臨む段丘の緩斜面に位置している。前方後円墳で,全長40m,後円部の径25m,高さ3m,前方部の長さ15m,幅16m,高さ4mである。今までに発掘調査は行われていないが,明治12(1879)年から翌13(80)年ごろ,後円部の上に神社の建物を建てる際に,主体部から遺物が出土している。主体部の性格は不明で,出土した遺物には鳥文鏡(ちょうもんきょう)と大刀(たち)があった。鳥文鏡は市内では数少ない古墳出土鏡の一つで,飛翔する鳥が表現された特異な形式のものである。このほか,墳丘から円筒埴輪と形象埴輪が採集されており,埴輪は窯(かま)を使わずに野焼きで作られていることから,古墳は5世紀前葉に築造されたと考えられる。
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