とうと・いんじょう(1725頃~91)

 東渡因静は,享保10(1725)年ごろ,江戸浅草に生まれた。字を獅子吼,東渡と号した。江戸芝増上寺で修行を積み,安永5(1776)年吉田(豊橋)に来て悟真寺第35世となった。これより先,宝暦14(1764)年朝鮮通信使が徳川家治の将軍宣下を祝して来朝した。東渡因静は,学士南秋月・書記成竜淵らと詩文唱酬した。それを,吉田悟真寺蔵版「東渡筆談」として板行した。著書に「江島大草子」(宝暦9年刊)・「よしのの道之記」(宝暦10年刊)「東都夜話」がある。寛政3(1791)年9月27日,67歳で示寂(じじゃく)した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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