とうかいどうせん

 日本の鉄道が創始されたのは,明治5(1872)年9月12日(太陽暦10月14日),新橋~横浜間の開業である。しかし,陸軍は東京~京都・大阪・神戸を連絡するのに,中山道を主張した。明治16(1883)年,政府は中山道幹線の建設を内定し,同20(87)年までに,敦賀~関ヶ原~武豊間が完成したが,同19(86)年7月9日,内閣は東海道幹線の路線変更を決定した。そのため,すでに建設が進んでいた岐阜から南下して,名古屋以東は東海道沿いとなった。

 明治21(1888)年9月1日,大府~浜松間が開通し,刈谷・岡崎・蒲郡・御油・豊橋・鷲津・馬郡(まごおり)・浜松駅が開業した(東海道線の全通は明治22年7月1日)。東海道線の複線化は,明治29(1896)年から始まった。鷲津~豊橋間は,同36(1903)年7月6日,豊橋~御油間は,同41(08)年6月6日で,全線複線化されたのは,大正2(1913)年8月1日である。また,明治42(1909)年には,山手線の電車運転が開始された。しかし,東海道線の東京~国府津・東京~横須賀間が電化され,電気機関車による運転が開始されるのは,大正14(1925)年12月13日で,架線電圧は,最初は1200Vであったが,やがて1500Vに昇圧された。沼津までは,昭和9(1934)年12月1日,浜松までは,同24(49)年5月20日,電化された。しかし,名古屋まで電化されたのは,昭和28(1953)年7月20日で,東海道線が全線電化されたのは,同31(56)年11月19日である。浜松~名古屋間の電化にあたって,星越トンネルの上り線は弾丸列車(新幹線)用地に新しいトンネルを掘鑿(新幹線建設時に下り線トンネルを改鑿し再使用),上り線を下り線として使用した。

 参考文献 - 日本国有鉄道「国有鉄道百年史」
 関連項目 - 静岡鉄道管理局 豊川の鉄橋 豊橋駅(豊橋市花田町西宿) 複線嵩上げ

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豊橋市議の長坂です。
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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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