とうこうじ(しんさかえ)

 明照山東光寺(浄土宗)の創立は,天文19(1550)年であり,開山は林誉恵休上人で,当初吉田指笠町(豊橋市新本町)に建立された。本尊は岡崎源空寺より寄進された阿弥陀如来立像である。江戸時代黒印2石を受けており,「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,野田村「浄土宗,指笠町,明照山東光寺,悟真寺末寺,平僧,客殿三間・六間,境内町並六間弐尺二寸,裏行廿三間,寺領弐石目,伊奈備前守様御証文有之」とある。

 「三河国二葉松」(元文5年)に,「野田村,吉田,黒印二石,浄土宗鎮西派,本寺吉田悟心寺,明照山東光寺」とある。本堂内に徳川家康以下7代の将軍の位牌入厨子(いはいいりずし)が祀られ,葵紋を許可されていたが明治維新後無壇,無禄の寺となった。

 明治17(1884)年,豊橋市新栄町新田中に移転,村の惣庵(そうあん)となり,庵室は庫裏(くり)となる。昭和20(1945)年,豊橋市関屋町観音寺が戦時防空令で強制疎開となった折,建物を買収,移築し庫裏とした。昭和57(1982)年境内地半分を分筆し,墓地を新設し同時に本堂庫裏の大修理をした。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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