ひがしみかわ

 東三河は,三河国の東部,古代の穂国(ほのくに)である。「国造本紀(こくぞうほんぎ)」泊瀬(はつせ)朝倉朝(雄略朝)に「以生江臣祖葛城襲津彦(かつらぎそつひこ)命四世孫菟上足尼(うなかみすくね)定賜国造」とあり,菟上足尼は国造に任命され,小坂井を本拠としたとされる。

 大化の改新(645)の時,西三河の参河と東三河の穂が合併して,三河国となった。「延喜式」や「和名類聚鈔」の三河8郡(設楽郡を含めて),すなわち碧海(阿乎美)・賀茂・額田(奴加太)・幡豆・宝飫(ほお)(穂)・八名(也名)・渥美(阿豆美)のうち,東三河は宝飫(ほお)以下の3郡である(設楽郡は,延喜3(903)年宝飫郡より分置した)。

 「宝飫」というのは「穂」のことで,地名に好字を選んで2字にせよという通達(「続日本記」和銅6年,「延喜式」巻22民部)によって「宝飫」と表記され,後世「宝飯」と誤記されたものとされる。

 東三河の北部は天竜水系に属するが,南部は豊川(とよがわ)水系に属する。木曽山系の三河山地と赤石山系の八名山地に囲まれている。また,南部は太平洋に面するが,渥美半島によって三河湾が形成されている。豊川下流平野は,中央構造線による断層線谷が第4紀の海面変動によって堆積した平野である。

 東三河には東西に東海道(国道1号),南北に国道151号・JR飯田線が通っている。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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