ひがしななねむら

 七根村は,江戸幕府成立時は幕府領であったが,元和9(1623)年旗本戸田次郎九郎領(村高686石余)となり,寛永20(1643)年戸田忠次に300石を分知して東・西七根村となった。東七根村は,寛文8(1668)年幕府領となり,天和元(1681)年から44年間鳥羽藩領となり,享保10(1725)年から2年間相良藩領,安永3(1774)年から29年間吉田(豊橋)藩領,享和3(1803)年以後は幕府領であった。渥美郡東七根村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に七根村686石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に,中泉支配所東七根村412石余とある。明治5(1872)年の東七根村の家数74,人数424であった。七根村の産土神(うぶすながみ)は御厨(みくりや)神社であったが,東西2村に分村した時,社名は御厨神社のまま八王子を祀った。寺院に,臨済宗東光寺がある。明治11(1878)年下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根村・西七根村は合併して五並(いなみ)村となったが,同17(84)年東七根村・西七根村は七根村となった。昭和30(1955)年に,大字七根は豊橋市東七根町・西七根町となった。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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