むらさめ・かかし(1849~1919)

 村雨案山子は,豊橋を代表する自由民権派の壮士で,のぶはその妻である。村雨案山子は,吉田(豊橋)藩士で家禄50石,目付役の村雨吉五郎武簡の長男で,初名を吉太郎といった。村雨案山子は,父・吉五郎の跡を継いで直心影流を学び,明治初年藩校の練武方教授になっている。

 案山子・のぶ(1855~1939)は,明治14(1881)年2月の豊橋民権派の旗揚げ以来,民権派の動くところ2人の姿があったといわれる。気骨をもった夫婦の言動は,世人の目にはやや奇矯に映ったとみえ,さまざまな逸話が残されている。中でも,その赤貧ぶりや,明治15(1882)年の板垣退助の遭難事件にからむ「板垣血染めのシャツ」の話,さらには明治20年代初頭の衆議院選挙での壮士ぶりなどは,人々の話題にのぼったようである。なお,のぶは有志を語らって,明治16(1883)年に「豊橋婦女協会」を設立し,女権運動の先駆をなす一方,同19(86)年ハリストス正教会に入信し,教会活動に参加した。村雨案山子は,大正8(1919)年9月23日,のぶは,昭和14(1939)年6月10日,没した。

 関連項目 - 飯田事件(明治17年) 政談演説会

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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