すぎうら・たけお(1890~1963)

 杉浦武雄は,明治23(1890)年5月20日,渥美郡細谷村下細谷(豊橋市東細谷町)の網元・杉浦六太郎の長男に生まれた。杉浦六太郎は,明治25(1892)年の打瀬網(うたせあみ)事件で,首謀とされ服役した。この間,杉浦武雄は静岡県榛原町などで世話になっていた。中学校も,静岡県榛原中学校に進学,いくつかの中学校を転校して,東京の京北中学校を卒業したという。大正5(1916)年東京帝国大学法科大学法律科を卒業し,司法官試補となる。東京・前橋地方裁判所判事,京城覆審法院判事を務めた。大正12(1923)年判事を退官して,名古屋で弁護士事務所を開いた。大正13(1924)年第15回総選挙で衆議院議員に当選し,以降6選した。昭和6(1931)年若槻内閣のとき,拓務省参与官に就任した。昭和6(1931)年12月中野正剛・風見章らとともに党員であった民政党を脱党,同8(33)年中野正剛らと政治結社「東方会」を結成したが,数年後,東方会と社会大衆党の合同問題で解体することになった。

 大正末年から昭和初年にかけて起きた満蒙問題の解決が,当時,陸軍・政・財界の緊急課題であったが,杉浦武雄は満蒙放棄論を説いた。終戦を,中国山東省経済建設技術人員協会の専務理事で迎えた。帰国後,昭和26(1951)年豊橋で弁護士を開業,同34(59)年参議院議員当選,日本民主党総務,自民党相談役,弾劾裁判所裁判員などを歴任した。昭和38(1963)年9月12日,没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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