すぎうら・ろくたろう(1860~1909)

 杉浦六太郎は,万延元(1860)年6月15日,下細谷(豊橋市東細谷町)の網元の家に生まれた。杉浦武雄(1890~1963)の父である。明治14(1881)年ごろから打瀬網(うたせあみ)漁船が渥美半島の遠江(とおとうみ)灘一帯に出て来て地引網に損害を与えた。明治22(1889)年打瀬網漁業禁止の愛知県令が出たが,実施は延期された。明治25(1892)年2月29日朝倉幾太郎(1866~1928)を先頭に,漁民700余人が郡役所に押しかけ,200余人が検挙された。三州打瀬網騒擾(うたせあみそうじょう)事件である。杉浦六太郎と朝倉幾太郎,その他の網元1人の3人が首魁(しゅかい)とされ,13人が重禁固に処され,150人が有罪(罰金刑)となった。明治42(1909)年6月18日,没した。

 豊橋市東細谷町の真月寺門前に「杉浦六太郎君碑」がある。裏面に「大正二年建之」と網子と思われる関係者49人の氏名以外の碑文はないが,他の網元とともに杉浦六太郎が責任を負った頌徳碑である。

 関連項目 - 打瀬網事件

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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