あさいち
豊橋の朝市は,大正13(1924)年に豊橋市農会が豊橋別院裏の萱町線に農産物販売斡旋(あっせん)所を開設したのが始まりである。昭和6(1931)年東田(あずまだ)の前畑通りに三八(さんぱち)の市(毎月3と8の日),翌7(32)年から羽田八幡社境内の一五の市(毎月1と5の日)と小田原通りの二七の市(毎月2と7の日),翌8(33)年には西八町の四九の市(毎月4と9の日)が開かれた。毎月6回農家が生産した蔬菜(そさい)類のほか,日用雑貨類を路上に並べて販売するものである。第2次世界大戦後,二七の市は松山公園に,四九の市は広小路四~五丁目(豊橋新吉町)に移り,六十(ろくとう)の市(毎月6と10の日)が豊橋市富本町で開かれている。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
豊橋の朝市は,大正13(1924)年に豊橋市農会が豊橋別院裏の萱町線に農産物販売斡旋(あっせん)所を開設したのが始まりである。昭和6(1931)年東田(あずまだ)の前畑通りに三八(さんぱち)の市(毎月3と8の日),翌7(32)年から羽田八幡社境内の一五の市(毎月1と5の日)と小田原通りの二七の市(毎月2と7の日),翌8(33)年には西八町の四九の市(毎月4と9の日)が開かれた。毎月6回農家が生産した蔬菜(そさい)類のほか,日用雑貨類を路上に並べて販売するものである。第2次世界大戦後,二七の市は松山公園に,四九の市は広小路四~五丁目(豊橋新吉町)に移り,六十(ろくとう)の市(毎月6と10の日)が豊橋市富本町で開かれている。
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苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
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