あさくら・いくたろう(1866~1928)

 朝倉幾太郎は,慶応2(1866)年11月2日,渥美郡小島村(豊橋市小島町)朝倉清右衛門の子として生まれた。

 明治25(1892)年2月29日,太平洋沿岸の下細谷・上細谷・小島・小松原・寺沢・七根(ななね)・高塚の漁民700余人が渥美郡役所へ押しかけ,200余人が検挙された事件があった。いわゆる打瀬網(うたせあみ)事件である。朝倉幾太郎は,師範学校を中退して,当時28歳であった。打瀬網(底引漁法)が禁止されないことは沿岸漁民の死活問題であるとして,細谷から伊良湖岬までの各村で演説会を開いて,世論を喚起した。この事件では,網元2人と地引網業者でない朝倉幾太郎の3人が首魁(しゅかい)とされ,11人が教唆(きょうさ)煽動(せんどう),136人が附和随行として逮捕投獄された。

 打瀬網事件で刑期を終えた朝倉幾太郎は,明治33(1900)年,豊橋で「めざまし新聞」を創刊した。「めざまし新聞」は,明治34(1901)年,「社交新聞」と改題して日刊とし,さらに,翌35(02)年,「明治新聞」を合併して「新朝報」の母体となった。昭和3(1928)年3月13日,没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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