あけみちょう

 昭和13(1938)年から,大崎島・大津島に海軍航空隊基地が造成され,同18(43)年,豊橋海軍航空隊が開隊した。昭和28(1953)年6月,愛知県は豊橋港の港域拡張について告示し,同33(58)年,豊橋市は東都製鋼(トピー工業)を誘致するなど,豊橋港・臨海工業用地の造成が始まった。

 昭和39(1964)年4月,三河港は重要港湾の指定を受け,同39(64)年9月,東三河の4市7町は工業整備特別地域の指定を受けた。愛知県企業局は,昭和40(1965)年2月,豊橋の8漁協(大崎・牟呂・渡津・老津・杉山・前芝・梅薮・日色野)のほか,田原・伊奈・平井・下佐脇および漁船漁業者渥美地区など22漁協に対して,三河港および工業用地造成のため,漁業補償額95億円,海面下土地買収費5億円,総額100億円を提示した。しかし,これが総額228億円で全面的に解決したのは,昭和43(1968)年であった。この年,臨海工業地帯の造成が本格的に開始された。

 大崎島と大津島の地名変更は,昭和32(1957)年と同48(73)年に行われた。昭和32(1957)年8月16日,豊橋市船渡町字本嶋・字嶋間のうち271反442で大崎町字本島が区画され,豊橋市老津町字蜷島(になじま)・字小島・字大津島・字島間のうち1051反656で豊橋市老津町字大島が画された(愛知県告示第404号)。

 昭和48(1973)年5月1日,豊橋市老津町地先公有水面埋立地86万4766.35㎡および豊橋市大崎町字本島,老津町字大津島・字島間・字ヒロ藻・字大島の全部で,豊橋市明海町が設定された(愛知県告示第377号)。豊橋市明海町は埋め立ての進行とともに8回にわたって公有水面埋立地の編入が行われた。

 豊橋市明海町には,昭和33(1958)年東都製鋼(トピー工業),同49(74)年金指造船(カナサシ→豊橋造船),同55(80)年花王石鹸(花王),同59(84)年バイエル(ランクセス),同60(85)年日本電装(デンソー)・中部セキスイ工業,平成元(1989)年メルセデスベンツ,翌2(90)年フォルクスワーゲン(フォルクスワーゲングループジャパン)などが立地した。

 関連項目 - 海中の字の廃止

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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