ぶんかきょうかい・だいいちじ

 第1次の豊橋文化協会は,昭和9(1934)年2月に結成された。市民文化の向上と文化行事の充実を図ることを目的とし,組織の中心を担ったのは高崎信吉,河合陸郎,藤井草宣であった。実務の担当者は白井一二,佐藤長吉,市川修誠,岩瀬正雄らであり,会長職を設けず理事会が協会の運営に当たった。事務所を旭町の岩瀬正雄宅に置き,理事会は竜拈寺(りゅうねんじ)で開催した。

 昭和9(1934)年6月17日から3日間「文化祭」を開催した。豊橋市公会堂を第1会場,豊橋商工会議所を第2会場として開かれた。音楽会,洋画展,日本画展,映画会(「夢みる唇」),宗教講演会,色紙短冊展,文芸展,郷土文化資料展,演劇(「煙草の害について」),歌劇,写真展,広告展という多彩な催しが開催された。また,総合雑誌「文化」を刊行した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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