きょうにょこうじゅ(1558~1614)

 教如光寿は,永禄元(1558)年9月16日,本願寺第11世顕如上人の長男として生まれた。天正8(1580)年,教如22歳のとき,10年間続いた石山合戦(織田信長と石山本願寺との戦)の和議が成立し,本願寺(後の西本願寺)を再興した。顕如の没後,教如と弟准如との間に後継者争いが起こり,はじめは教如が本願寺第12世を相続したが,文禄2(1593)年准如を本願寺第12世とした。

 その結果,教如は本願寺から退かざるをえなかった。この教如の失意苦悩に同情した吉田(豊橋)門徒は,文禄4(1595)年,吉田惣道場誓念寺(後の吉田御坊)を建てて教如を招いた。この行為を喜んだ教如は,亡父顕如の御影をこの寺に納めたといわれている。

 慶長6(1601)年,教如は関ヶ原合戦に勝利した徳川家康を訪ねて懇談した。慶長7(1602)年7月,徳川家康から京都烏丸七条の土地の寄進を受け,東本願寺を建立して初世となった。慶長19(1614)年,示寂(じじゃく)した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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