とつか・かんかい(1854~1932)
戸塚環海は,嘉永7(1854)年9月15日,八名郡賀茂村(豊橋市賀茂町)の林九一郎の長男に生まれた。幼名芳太郎。明治2(1869)年,一宮砥鹿神社神官草鹿砥宣隆(くさかどのぶたか)が皇学所講官に任ぜられた際,供をして上京したが,草鹿砥宣隆が急死したので帰郷した。明治5(1872)年,東京に出て石神豊民の塾生となり,豊策と改名し医学を学んだ。明治7(1874)年海軍医療学舎に入って首席で卒業し,海軍軍医副に任命された。明治14(1881)年海軍軍医総監の戸塚文海の養嗣子となり,環海と改名した。明治15(1882)年ロンドンのセント・トーマス病院学校に入学の後,ベルリンのコッホの教室で細菌学を修めた。帰国後,海軍軍医少監,明治35(1902)年海軍軍医総監となり,佐世保鎮守府医務部長兼院長に補せられた。昭和7(1932)年1月31日,没した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
戸塚環海は,嘉永7(1854)年9月15日,八名郡賀茂村(豊橋市賀茂町)の林九一郎の長男に生まれた。幼名芳太郎。明治2(1869)年,一宮砥鹿神社神官草鹿砥宣隆(くさかどのぶたか)が皇学所講官に任ぜられた際,供をして上京したが,草鹿砥宣隆が急死したので帰郷した。明治5(1872)年,東京に出て石神豊民の塾生となり,豊策と改名し医学を学んだ。明治7(1874)年海軍医療学舎に入って首席で卒業し,海軍軍医副に任命された。明治14(1881)年海軍軍医総監の戸塚文海の養嗣子となり,環海と改名した。明治15(1882)年ロンドンのセント・トーマス病院学校に入学の後,ベルリンのコッホの教室で細菌学を修めた。帰国後,海軍軍医少監,明治35(1902)年海軍軍医総監となり,佐世保鎮守府医務部長兼院長に補せられた。昭和7(1932)年1月31日,没した。
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