けんぺいたい

 憲兵は,軍事警察(軍隊規律の維持)と治安警察(社会の安寧(あんねい)秩序の維持)の2つの任務を有していたが,後には思想警察,防衛,防諜(ぼうちょう),生産増強,国民生活の監視にまでおよぶようになった。

 明治22(1889)年2月,陸海軍の20重大事件の一つといわれる「豊橋停車場事件」(歩兵第18聯隊の兵士が関係)が起き,この事件の直後,東京に憲兵司令部が創設された。この後豊橋町西八町通り北側に第3師団隷下の豊橋憲兵分隊が設置された。

 明治41(1908)年11月,渥美郡高師村に第15師団が移設されると,師団西側(愛知大学副門前・豊橋警察署南部交番の所)に第15憲兵隊が設置された。これ以後豊橋には2つの憲兵隊が置かれた。

 大正7(1918)年8月,豊橋市に米騒動が起こると,これらの憲兵隊も出動した。大正14(1925)年3月,第15師団が解団されると第15憲兵隊は規模が縮小されて豊橋憲兵分隊となった。昭和11(1936)年2月に起こった2・26事件前後には,皇道派将校の監視,拘引(こういん),取り調べに当たった。昭和14(1939)年,豊川海軍工廠(こうしょう)が開庁されると,同廠付近に豊川憲兵分遣隊をおき,防諜および生産増強の監視に当たった。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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