あいちだいがく

 愛知大学は,中国の上海にあった東亜同文書院大学のほか,京城帝国大学・台北帝国大学などからの引揚教授・学生を母体にして,昭和22(1947)年1月,豊橋市町畑町の旧陸軍豊橋第一予備士官学校歩兵隊跡に設立された。昭和21(1946)年6月,愛知県特殊物件処理委員会(名古屋財務局)で,愛知大学の設立用地として転用されることが議決された。昭和21(1946)年11月,旧豊橋第一予備士官学校歩兵隊を校舎とする旧大学令による愛知大学の設立が認可された。昭和22(1947)年1月,予科生徒の入学式を行い,同22(47)年4月,法経学部を開設した。昭和24(1949)年4月,新制大学に改組して法経学部・文学部を設置した。昭和25(1950)年4月,短期大学部(夜間)法経科第二部を豊橋・名古屋(名古屋市東区赤萩町の東邦学園高等学校の教室を借用して開講,昭和26年車道校舎に移転)に,文科第二部を豊橋に設置した。

 昭和26(1951)年5月,名古屋校舎(名古屋市東区往還町の元中京女子短期大学の校地・校舎,名古屋市東区筒井二丁目の車道校舎)を購入,同28(53)年4月,大学院修士課程を設置,同31(56)年4月,名古屋校舎(車道)の短期大学部法経科第二部を廃止,法経学部第二部(名古屋・豊橋)を設置した。昭和34(1959)年4月,短期大学部文科(女子)を設置し,豊橋校舎の短期大学部文科第二部を廃止し,同36(61)年4月,短期大学部に生活科(女子)を設置し,同36(61)年10月,名古屋校舎(車道)で法経学部専門課程を開講した。昭和38(1963)年4月,大学院博士課程を設置した。昭和54(1979)年6月,短期大学第二部を廃止した。昭和63(1988)年4月,名古屋校舎(西加茂郡三好町黒笹)キャンパスを開校(車道校舎法経学部第一部移転)した。平成元(1989)年4月,法経学部を改組して経済学部一部(豊橋校舎)・経済学部二部(豊橋校舎)・法学部一部(名古屋校舎)・法学部二部(車道校舎)・経営学部(名古屋校舎)の5学部を設置した。平成9(1997)年4月,現代中国学部(名古屋校舎)を設置し,同9(97)年12月,法経学部第一部・法経学部第二部を廃止した。平成10(1998)年4月,教養部を廃止し,国際コミュニケーション学部(豊橋校舎)を設置し,同16(2004)年4月,法科大学院を車道キャンパスに開設した。平成18(2006)年に中国教育部と提携して孔子学院を設立した。

 愛知大学図書館には「簡斎(かんさい)文庫」「霞山(かざん)文庫」をはじめとして中国関係文献が豊富で,豊橋図書館に69万余冊・名古屋図書館に39万余冊・車道分館に10万余冊・4研究所に16万余冊・4学部に1万余冊,合計137万7372冊の蔵書,内外の雑誌1万3067種,内継続雑誌5711種(2003年3月末)がある。なお,名古屋校舎には国際問題研究所・経営総合科学研究所・中日大辞典編纂所,豊橋校舎に綜合郷土研究所・中部地方産業研究所・三遠南信地域連携センターが設置されている。

 参考文献 - 愛知大学五十年史編纂委員会「愛知大学五十年史・通史編」

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豊橋市議の長坂です。
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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
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