あいちだいがくせいそうなんじこ

 愛知大学生遭難事故は,昭和37(1962)年12月25日,名古屋を出発した愛知大学山岳部員13人が富山県薬師岳東稜で遭難した山岳事故である。下山予定の昭和38(1963)年1月6日を過ぎても登山本部に連絡がなく,1月15日遭難対策本部が設置され,4次の救援隊を派遣したが「38(さんぱち)豪雪」に阻まれた。1月20日遭難対策本部は愛知大学から富山県警本部に移され,2月14日からは遭難救助対策本部として捜索が継続された。

 昭和38(1963)年3月23日名古屋大学山岳部のパーティーが,薬師岳東南稜で5遺体を発見し,3月26日愛知大学山岳部パーティーによって4遺体,さらに4月29日2遺体が発見された。

 登山記録および遺体の位置状況から13人は,昭和38(1963)年1月2日標高2658mの分岐点付近で東南稜南線方向へ迷走し,翌3日までビバークした。その後,主稜へ戻るべく懸命の努力を続けたが,11人は疲労凍死し,2人は雪庇(せっぴ)を踏み外して東線へ墜落死したものと推定された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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