おうつうじ

 大永山応通寺(真宗大谷派)は,大永年間(1521~28)の創建で,開山は三州吉良平坂(西尾市平坂町)の無量寿寺12世了源法師の3男源明法師である。天正2(1574)年了源師のとき,川毛(吉田城址(じょうし)付近)から吉田(豊橋)垉六(ほうろく)町(豊橋市花園町)に移り,同5(77)年8月寺号を無量寿寺から応通寺と改めた。文禄4(1595)年教如上人によって誓捻寺が創立され,京都東本願寺別院となったが,御坊無住のため,応通寺・蓮泉寺・浄円寺・正琳寺・仁長寺の5か寺が明治12(1879)年まで交代で御堂役を勤めた。

 明治4(1871)年10月誓念寺(豊橋別院)の大火により類焼した。明治14(1881)年本堂その他の再建を終え,昭和に入り山門,書院を新築した。本尊は阿弥陀如来像である。昭和20(1945)年4月戦時防空令により,強制疎開となり本堂の一部が取り壊しとなったが,同20(45)年6月の空襲により焼失した。昭和39(1964)年本堂,同47(72)年書院を新築した。

 関連項目 - 豊橋別院(豊橋市花園町)

- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。

このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html 
豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm 

では!