とくごうちょうじゃ

 6世紀のころ,滝蔵人正時清(たきくらんどのしょうとききよ)という人が多米(ため)(豊橋市多米町)の東に住んでいて,「滝山長者」と名のっていた。時清は河内の国に行き,聖徳太子の説法を聞き,太子から徳合長者の名を賜(たまわ)り,太子の作った大日如来像をもらい受けて帰ってきた。2代目の長者兼成は行基の作った千手観音,四天王愛染明王像を滝の谷(豊橋市多米町滝ノ谷)に祀った。村人達は「朝日さす 夕日輝く榊のもと 黄金千杯 朱千杯」と徳合長者の繁栄ぶりを称えた。3代目の道儀は不動明王を祀った。しかし,4代目権五郎の時,源平の乱のころ滅んだと伝えられている。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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