ごしゅいんあらため
「御朱印改め」とは,江戸時代将軍の代替りごとに大名・公家・寺社の持っている領地判物・朱印状を確認し,改めて発給することであり,継目安堵の意味を持つものである。
湊町の神明社(豊橋市湊町)は白鳳元(672)年の創立といわれ,慶安2(1649)年,徳川家光より朱印10石が寄進されている。御朱印改めの記録が羽田野敬雄の「万歳書留控」の嘉永7(1854)年に記載されている。それによると嘉永7(1854)年9月29日,羽田野敬雄の同伴や供の者を入れて総勢11人が吉田(豊橋)を出立し,10月8日江戸へ到着した。10日,吉田(豊橋)藩上屋敷役人宅にて事務的な手続きをしたあと,11月3日,本多中務大輔の屋敷で朱印改めが行われた。その様子は幕府役人が立ち会い,御奉行が「御朱印相違なし,本紙差戻す」と言って朱印改めが終わったことが記載されている。嘉永7(1854)年11月5日吉田への帰途,嘉永(安政)の大地震に遭い,被害のありさまが記されている。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
「御朱印改め」とは,江戸時代将軍の代替りごとに大名・公家・寺社の持っている領地判物・朱印状を確認し,改めて発給することであり,継目安堵の意味を持つものである。
湊町の神明社(豊橋市湊町)は白鳳元(672)年の創立といわれ,慶安2(1649)年,徳川家光より朱印10石が寄進されている。御朱印改めの記録が羽田野敬雄の「万歳書留控」の嘉永7(1854)年に記載されている。それによると嘉永7(1854)年9月29日,羽田野敬雄の同伴や供の者を入れて総勢11人が吉田(豊橋)を出立し,10月8日江戸へ到着した。10日,吉田(豊橋)藩上屋敷役人宅にて事務的な手続きをしたあと,11月3日,本多中務大輔の屋敷で朱印改めが行われた。その様子は幕府役人が立ち会い,御奉行が「御朱印相違なし,本紙差戻す」と言って朱印改めが終わったことが記載されている。嘉永7(1854)年11月5日吉田への帰途,嘉永(安政)の大地震に遭い,被害のありさまが記されている。
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豊橋市議の長坂です。
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