かげやま・しょうへい(1886~1945)
影山庄平は,明治19(1886)年2月14日,渥美郡東田(あずまだ)村(豊橋市東田町西脇)の影山愛蔵の長男として生まれた。愛知県第四中学校を中退,豊橋区裁判所に勤め,のち神道修成派に参加し,随神大孝道を創設した。昭和14(1939)年長男影山正治は東京に大東塾を興し,塾長となり,影山庄平は顧問となる。影山正治出征のとき,塾長代行となった。昭和20(1945)年8月15日第2次世界大戦終戦の大詔を拝し,8月25日代々木原頭に塾生13人とともに「皇魂誓って無窮に皇城を守らむ」と言い立て割腹自刃した。辞世歌「国うれふ やたけ心の きはまりて 静かなるかも 神あがるとき」。昭和37(1962)年,豊橋市御園町に「影山庄平翁之碑」が建立された。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
影山庄平は,明治19(1886)年2月14日,渥美郡東田(あずまだ)村(豊橋市東田町西脇)の影山愛蔵の長男として生まれた。愛知県第四中学校を中退,豊橋区裁判所に勤め,のち神道修成派に参加し,随神大孝道を創設した。昭和14(1939)年長男影山正治は東京に大東塾を興し,塾長となり,影山庄平は顧問となる。影山正治出征のとき,塾長代行となった。昭和20(1945)年8月15日第2次世界大戦終戦の大詔を拝し,8月25日代々木原頭に塾生13人とともに「皇魂誓って無窮に皇城を守らむ」と言い立て割腹自刃した。辞世歌「国うれふ やたけ心の きはまりて 静かなるかも 神あがるとき」。昭和37(1962)年,豊橋市御園町に「影山庄平翁之碑」が建立された。
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