ひこさか・こうたろう(1873~1907)

 彦坂幸太郎は,明治6(1873)年2月22日,渥美郡西七根(にしななね)村(豊橋市七根町)の高橋喜重郎の長男に生まれたが,同28(95)年渥美郡高師村本郷(豊橋市高師本郷町)の彦坂栄作の養嗣子となった。明治28(1895)年愛知県第一師範学校を卒業し,豊橋高等小学校訓導・細谷尋常高等小学校校長・福岡尋常高等小学校校長を歴任したが,向学の念止みがたく養父の死を機に東京高等師範学校に入学,同38(1905)年卒業すると愛知県第一師範学校教諭に就任した。渥美郡出身の在校生グループから懇親会の歌詞を依頼され作詞したのが「三河男児の歌」である。「三河男児の歌」は,三河の小学校の運動会などでよく歌われ,広く流布していった。それから2年後の明治40(1907)年9月9日,不慮の事故で,没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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