おしいばち

 神代のこと,天照大神の命を受け,武甕槌命(たけみかづちのみこと)らは,東国の悪賊を討伐(とうばつ)に,船で東へ東へと海路を進撃していた。ある日,激しい暴風雨に見舞われ,船は大破し海中に放り出され海上を漂い,命からがら植田(豊橋市植田町)の浜に流れ着いた。武甕槌命らはやっとの思いで,陸地に這(は)い上がり助けを求めた。しかし,村人たちは助けようとしなかった。武甕槌命らは翌朝,抱き合うようにして死んでいた。高貴な神様たちであったと後で知った村人たちは,食べものを差し上げなかったことを悔い,死を弔い,塚を建てて供養した。これが車神社(豊橋市植田町)境内にある「ひさご塚」であるといわれている。また車神社には,そのことへの詫(わ)びと,農民の白米願望や五穀豊穣(ごこくほうじょう)への感謝から,大椀(おおまり)に白米飯を山盛りにし,客にそれを食べさせるという「おしいばち」神事が行われている。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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