たてものそかい

 建物疎開は,昭和18(1943)年10月公布の改正防空法および都市疎開実施要綱にもとづいて実施された大都市疎開事業の一環で(他に人員疎開・工場疎開があった),空爆に備えて市街地に大規模な防火用空地を造成しようとするものであった。建物疎開地域に指定されると,地域内の家屋・建造物は,移転もしくは撤去された。建物疎開は昭和19(1944)年1月,東京・名古屋に始まり阪神や北九州の重要都市で相次いで強行された。昭和19(1944)年末ごろから爆撃が地方都市へ波及してくると,建物疎開は中小都市でも実施されることとなった。昭和20(1945)年5月,愛知県は第6疎開事務所を豊橋市公会堂に設置し,豊橋駅東部の市街地に南北3本の空地地帯をつくることとした。住民およそ700世帯,宅地3万2000坪余,760棟が疎開対象となった。建物は,坪100円~200円で県が買い取り,ほかに移転料,引っ越し料,営業補償などが支給された。住民は立ち退きを強制され,建物の取り壊し作業は,警防団や軍隊によって5月下旬に開始された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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