はいきぶつさいしゅうしょぶんじょう
豊橋市の廃棄物最終処分場は,昭和44(1969)年,清掃事業部として発足,翌45(70)年,第1次埋め立て事業が豊橋市伊古部町大縄手地区で開始された。昭和46(1971)年,第2次埋め立て事業が伊古部町西ノ谷へ移動した。昭和47(1972)年,清掃事業部を清掃部に改称し,埋立処理課を豊橋市伊古部町に開設した。昭和52(1977)年,第3次埋め立て事業として豊橋市伊古部町赤坂に移動し,同55(80)年の第4次埋め立て事業として豊橋市東赤沢町坪ノ谷へ移動した。
昭和61(1986)年,第5次埋め立て事業として豊橋市高塚地区に移動し,埋立処理課を豊橋市高塚町東大山に移転した。埋め立て地域を3工区とし,期間(昭和61年5月~平成18年度)を3期間に分け,平成17(2005)年最終第Ⅱ工区が埋め立て進行中である。埋め立て施設の構造は「準好気性」で,埋め立ては「セル(細胞)工法」を採用している。浸出汚水処理施設は,昭和56(1981)年4月,豊橋市伊古部町落合に設置し,平成14(2002)年度から平成17(2005)年度にかけて全面改修を行い,現在,生物処理(活性汚泥法),凝集沈殿処理,活性炭処理を併せた高度処理を行っている。平成17(2005)年度の埋め立て予定量は2万4800tである。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
豊橋市の廃棄物最終処分場は,昭和44(1969)年,清掃事業部として発足,翌45(70)年,第1次埋め立て事業が豊橋市伊古部町大縄手地区で開始された。昭和46(1971)年,第2次埋め立て事業が伊古部町西ノ谷へ移動した。昭和47(1972)年,清掃事業部を清掃部に改称し,埋立処理課を豊橋市伊古部町に開設した。昭和52(1977)年,第3次埋め立て事業として豊橋市伊古部町赤坂に移動し,同55(80)年の第4次埋め立て事業として豊橋市東赤沢町坪ノ谷へ移動した。
昭和61(1986)年,第5次埋め立て事業として豊橋市高塚地区に移動し,埋立処理課を豊橋市高塚町東大山に移転した。埋め立て地域を3工区とし,期間(昭和61年5月~平成18年度)を3期間に分け,平成17(2005)年最終第Ⅱ工区が埋め立て進行中である。埋め立て施設の構造は「準好気性」で,埋め立ては「セル(細胞)工法」を採用している。浸出汚水処理施設は,昭和56(1981)年4月,豊橋市伊古部町落合に設置し,平成14(2002)年度から平成17(2005)年度にかけて全面改修を行い,現在,生物処理(活性汚泥法),凝集沈殿処理,活性炭処理を併せた高度処理を行っている。平成17(2005)年度の埋め立て予定量は2万4800tである。
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