ひらかわしんでん
平川新田65町余は,寛文7(1667)年,篠田村(一宮町篠田)の弥兵衛と吉田(豊橋)榎河岸の利兵衛が田尻原を開発したものである。渥美郡平川新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分670石余とある。溜池として岩崎村地内に利兵衛(りひょう)池,平川地内に水神池を築いた。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数15,人数62であった。産土神(うぶすながみ)として神明社を祀った。明治11(1878)年手洗村・上岩崎村・下岩崎村・田尻村・平川新田は合併して岩田村となったが,同17(84)年手洗村・上岩崎村は岩崎村,下岩崎村・田尻村・平川新田は岩田村となった。明治39(1906)年に,豊橋市大字岩田,大正15年岩田町となる。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
平川新田65町余は,寛文7(1667)年,篠田村(一宮町篠田)の弥兵衛と吉田(豊橋)榎河岸の利兵衛が田尻原を開発したものである。渥美郡平川新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分670石余とある。溜池として岩崎村地内に利兵衛(りひょう)池,平川地内に水神池を築いた。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数15,人数62であった。産土神(うぶすながみ)として神明社を祀った。明治11(1878)年手洗村・上岩崎村・下岩崎村・田尻村・平川新田は合併して岩田村となったが,同17(84)年手洗村・上岩崎村は岩崎村,下岩崎村・田尻村・平川新田は岩田村となった。明治39(1906)年に,豊橋市大字岩田,大正15年岩田町となる。
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