ひらやま・じんた(1840~1900)

 平山甚太は,天保11(1840)年1月13日,吉田(豊橋)藩士中村哲兵衛の2男として生まれたが,吉田藩士平山清助の養嗣子となった。第八国立銀行を設立した中村道太の弟である。

 明治3(1870)年,横浜ではじめて花火を打ち上げたといわれる。明治10(1877)年,岩田茂穂と共同して横浜高島町に平山煙火製造所を設立した。その後,アメリカへ煙火を輸出,貿易商として活躍した。さらに,四国松山の道後温泉で軽便鉄道を見て,豊川稲荷があるから豊川鉄道も成り立つに違いないと考え,豊川鉄道を設立,取締役となった。明治33(1900)年9月15日,没した。

 平山甚太の娘・麻二は岩田茂穂と結婚した。その子が,岩田豊雄(獅子文六)である。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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