ほまえかけ
帆前掛けは,酒屋や八百屋の店先で立ち働く人々が腰に締めている紺色の前掛けである。帆前掛けの語源は定かではないが,舟の帆と同じ生地を使ったからではないかともいわれる。一昔前は,肥料や飼料,醸造業などの蔵元や問屋,メーカーから,商品や宣伝の品として実用的な帆前掛けが盛んに配られた。昭和30~40年代には,豊橋の帆前掛けの生産が最も盛んなころで,1日に1万枚もの出荷があり,帆前掛け組合では,100軒ほどの製造業者がいた。現在では,需要・注文の減少により,わずかに2~3軒となり,ひところの面影はない。
帆前掛けは,白い文字や模様の部分に,紺色の染料が入らないよう糊置き(防染)の作業がなされる。帆前掛けの裾は,織布工場の段階でフリンジ状に織られ,染め工程へと進み,紐が縫製され製品となる。織布の織機は,昔ながらに動力とベルトが連結された「豊田」の力織機で,練糸(たて糸)と縫糸(よこ糸)が寸法に従って織られていく。最近では,帆前掛けの数は減ったが,織布や染めの技術の良さが見直され,テーブルセンターやのれん,袋などでの需要が増えている。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
帆前掛けは,酒屋や八百屋の店先で立ち働く人々が腰に締めている紺色の前掛けである。帆前掛けの語源は定かではないが,舟の帆と同じ生地を使ったからではないかともいわれる。一昔前は,肥料や飼料,醸造業などの蔵元や問屋,メーカーから,商品や宣伝の品として実用的な帆前掛けが盛んに配られた。昭和30~40年代には,豊橋の帆前掛けの生産が最も盛んなころで,1日に1万枚もの出荷があり,帆前掛け組合では,100軒ほどの製造業者がいた。現在では,需要・注文の減少により,わずかに2~3軒となり,ひところの面影はない。
帆前掛けは,白い文字や模様の部分に,紺色の染料が入らないよう糊置き(防染)の作業がなされる。帆前掛けの裾は,織布工場の段階でフリンジ状に織られ,染め工程へと進み,紐が縫製され製品となる。織布の織機は,昔ながらに動力とベルトが連結された「豊田」の力織機で,練糸(たて糸)と縫糸(よこ糸)が寸法に従って織られていく。最近では,帆前掛けの数は減ったが,織布や染めの技術の良さが見直され,テーブルセンターやのれん,袋などでの需要が増えている。
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